主な遺物の紹介

主な遺物の紹介

朝鮮系無文土器(ちょうせんけいむもんどき)

朝鮮系無文土器の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
朝鮮半島で製作されていた土器です。弥生土器と同じ野焼きの製法で製作されています。焼き方は弥生土器と同じですが、高度な技術によってつくられているため、弥生土器より硬質に仕上がっています。これらの土器は、交易品を入れる容器として一支国に運ばれてきたものや渡来人が直接持ち込んだものと考えられています。
原の辻遺跡で発見された朝鮮系無文土器は甕や鉢の器種が多く、外面には煤が付着したものがあることから、容器としてだけでなく、実際に日常生活の中で煮炊き用や器(うつわ)として利用されていたものと思われます。

陶質土器(とうしつどき)

三韓系瓦質土器の写真

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
朝鮮半島を支配していた三韓〔馬韓・弁韓・辰韓〕で製作されていた土器です。あな窯を使って製作されているため、土器は硬質で、灰色近い色に仕上がっています。また、口の部分が小さくなっているため、液体などのこぼれやすいものを入れる容器として適していました。
原の辻遺跡では三韓系の瓦質土器以外に楽浪系の瓦質土器も出土しており、朝鮮半島だけでなく中国大陸とも交流があったことをものがたっています。

朝鮮系無文土器(ちょうせんけいむもんどき)

陶質土器の写真

古墳時代初頭(今から約1700年前から1600年前)
朝鮮半島で製作されている土器です。瓦質土器よりもより高度な技術で製作されているため、より硬質で、黒色に近い灰色に仕上がっています。
この土器をつくる技術は、日本では弥生時代の次の古墳時代になって渡来人によって伝わります。この技術を使って製作された土器を日本では“須恵器”と呼んでいます。
原の辻遺跡では、壺が多く発見されていますが、把手(とって)がついたジョッキ型の陶質土器も出土しています。

五銖銭(ごしゅせん)・大泉五十(たいせんごじゅう)・
貨泉(かせん)

異なる種類の通貨三枚が写された写真

当時〔弥生時代〕の一支国では、モノとモノを交換する社会だったため、通貨による交換の概念は存在していませんでした。これらの通貨も交易品の1つとして国内に持ち込まれたものと思われます。交換された通貨は、お金としてではなく、祭祀(まつり)の時に使われていました。

五銖銭(ごしゅせん)

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
今から約2000年前に中国で使われていた通貨で、紀元前118年にはじめて造られ、紀元後40年に再び造られました。

大泉五十(たいせんごじゅう)

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
今から約2000年前に中国で使われていた通貨で、紀元後7年にはじめて造られました。

貨泉(かせん)

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
今から約2000年前に中国で使われていた通貨で、紀元後14年にはじめて造られました。
原の辻遺跡では弥生時代後期の壺の中に入れられた状態で発見されました。

【日本最古】青銅製の権(けん)

青銅製の権の写真

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
権は棹ばかりの錘(おもり)として用いられました。物々交換の社会において、棹ばかりは、交易を効率よく行うことができる画期的なツールでした。棹に取り付けた権の重さと皿にのせた重さが同じになったところでモノとモノを交換していました。

【日本最古】車馬具(しゃばぐ)

車馬具の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
車馬具は、馬車の車輪を留める部品です。当時の中国では、すでに馬車が道路を走っていましたが、倭国にはまだ馬車が伝わっていませんでした。
原の辻遺跡で出土した車馬具は青銅で製作されていたため、国内には珍しい交易品として持ち込まれたものと思われます。

【日本最古】三翼鏃(さんよくぞく)

三翼鏃の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
三翼鏃は、機械仕掛けの弓 〔弩(ど)〕に用いられる矢の先に取り付ける鏃(やじり)です。当時の中国では、弩を戦いの時に武器として使用していましたが、倭国にはまだ伝わっていませんでした。
原の辻遺跡で出土した三翼鏃は青銅で製作されていたため、国内には珍しい交易品として持ち込まれたものと思われます。

【国内最古】とんぼ玉

とんぼ玉の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
トンボ玉は青色の本体に、白色の文様をつけています。側面に丸もしくは二重丸の文様が3つ施され、薄い青色のガラスが装飾されています。丸と丸の間には2つの点が施され完成しています。

【日本最多】銅鏃(どうぞく)

銅鏃の写真

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
銅鏃は石製の鏃(やじり)や骨製の鏃と比べ、倍以上の威力がある特別な鏃です。現段階で、原の辻遺跡からは160本以上発見されており、1遺跡としては国内最多の出土量を誇ります。原の辻遺跡では争いに備えた武器としてだけでなく、副葬品としても用いられています。また、銅鏃の中には紐(ひも)が着いた状態のまま発見された例もあることから実用品としても用いられていたことが判明しました。

【日本最古】木製楯(もくせいたて)

木製楯の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
木製の楯は、一支国を守る兵士が持つ防具の1つです。楯には小さな孔(あな)が穿(あ)けられており、その孔に紐を通して強度を高めていたものと思われます。
原の辻遺跡から出土している木製楯は、左上隅部分の破片と考えられています。

【日本最古】短甲(たんこう)

短甲の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
木製の短甲、一支国を守る兵士が身につけた防具の1つです。短甲の縁(ふち)には小さな孔(あな)が穿(あ)けられており、紐でつなぎ合わせて防具をつくっていたものと思われます。
原の辻遺跡から出土している木製の短甲は、右脇下部分のパーツと考えられています。

【日本唯一】人面石

人面石の写真

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
人面石は、人の顔を模してつくられており、ノルウェーの画家ムンクが描いた「叫び」の中の人物に似ています。2つの目は石の半分まで彫り込まれ、口は裏まで貫通しています。目の上には眉が、目と口の間には鼻が彫られています。この人面石は、先祖の霊を鎮(しず)める儀式などのときに祭器として用いられたものと考えられています。

【日本最古】ココヤシ笛

ココヤシ笛の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
南方より海流にのって一支国に流れ着いたココヤシの実を拾った一支国人が、孔(あな)を穿(あ)けて音が出る笛に加工した楽器です。
原の辻遺跡では、環濠内と河川内から2点のココヤシ笛が出土しています。

ト骨(ぼっこつ)

ト骨の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
ト骨は、シカやイノシシの肩甲骨を加工して、焼けた木の棒を押しつけて骨に入るヒビの入り方をみて吉凶を占う儀式です。
原の辻遺跡で出土したト骨には、焼けた木の棒を押しつけたときに付いたと思われる黒斑(こくはん)が残っています。一支国には中国大陸や朝鮮半島からモノだけはなく、占いの文化も同時に伝わっていました。

龍線刻土器(りゅうせんこくどき)

龍線刻土器及び線刻画実測図の写真

弥生時代後期(今から約2000年前から1700年前)
土器には体を巻いて丸くなった龍と反り返って宙(そら)に昇る龍が描かれています。2匹の龍の間には稲妻〔稲光(いなびかり)〕が描かれています。
中国では龍は架空の生き物で、雨乞いの神や治水の神として崇(あが)められ、水神の象徴的動物となっていました。
原の辻遺跡では水に関する祭祀を行うときに用いる特別な祭器だったのではないかと考えられています。

【国内最古】捕鯨線刻土器(ほげいせんこくどき)

捕鯨線刻土器及び線刻画実測図の写真

弥生時代中期(今から約2200年前から2000年前)
甕館として転用された壺には舟の画とクジラの画が描かれています。土器の外面には3本の銛(もり)が刺さったクジラの様子が描かれているのが特徴です。
捕鯨の様子を描いた線刻土器としては日本最古のものです

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更新日:2017年03月09日